譜面
-示す五線の先-
「ゲーチス様、奥様のお部屋からこれが…」
妻は息子へと、一つペンダントを遺していた。
天体を象ったと思われる、球体に平たい輪が装飾されていた。
妻が何を思ってこれを息子に与えようとしたのか。
今となっては、分からない。
六人の賢者。『私の言葉』に賛同する者。
必要な駒を選び、集める。
「我が同胞の諸君、世界に嘆く貴殿方を導くのは、真の王です。」
「ポケモンを愛し、慈しむ天上の王です。」
「王は必ず、この地に降り立ちます。」
「その約束された日へと共に歩みましよう。」
沸き上がる歓声。
彼らが望む王こそ英雄、すなわち、我が息子。
幼き英雄の種子が芽吹き、その枝に若葉を繁茂させ、
彼らの王、そして世界の英雄が君臨した時に、
彼らは英雄を讃える参列の先導となるのだ…。
そして今、私は父としての私と息子を殺す。
「息子よ……、今日から…お前はNだ…。」
「…えぬ?」
「そして私は、……N様の側近、ゲーチスです。」
「そっきん…?おとうさ」
そっと、Nの言葉を遮る。
「私のことは、ゲーチスとお呼びください。N様。」
「……なんで…?」
「プラズマ団のことは御存じですね?」
「…うん、しってる…おと、……ゲーチスの、どうほうだって…」
「貴方はこれより、プラズマ団の幼き王となるのです。」
「おう…?」
「幼き、王です。真の王となるために、貴方は以後、多くのことを学ばなくてはなりません。」
「ま…まってよ…。ぼく、わからないよ…。」
「これから全て、お学びになりましょう。」
「そうじゃ、なくて…」
「何でしょう。」
「どうして……?」
「…世界のためです。」
「世界がいかに悲劇と不条理に溢れているかを、これからお教えましよう。」
そして、父の譜面通りに、私はNに妻の部屋を与えた。
窓は塞ぎ、外界から隔絶された、偏った世界の一辺。
そこへ私は知識と汚濁を流す。
汚濁は、人に身を裂かれ心を潰された『哀れな』ポケモンたち。
父よ、やはり貴方は偉大だ。
貴方の譜面に沿うように、Nは奏でるのだ。
知識も汚濁も、草の根が水を吸うように、英雄の糧としていく。
全ての学問に関心を示し、
私が連れてきたポケモンたちを見て、悲しみ、嘆く。
その心には確かに、人への、世界への怒りが在る。
だが、Nは貴方が予想もしないであろう、一音を鳴らしたのだ。
「ゲーチス、この子泣いてるよ。」
「そのポケモンもまた、人に酷い仕打ちを受けたのです。」
「うん…うん、なんて、ひどいことを…」
「この子、ご主人に蹴られてすごく痛かったって…」
「…N様?」
Nはポケモン達の境遇を、まるで知っているかのように言い当てるのだ。
信じがたいが、Nにはポケモン達の悲痛な訴えが聞こえているというのか。
それも極めて、明確に。
妻は言った。
友となれば自ずと彼らの気持ちが分かると。
だがNは、出会って間もない彼らから、
気持ちというよりは言語そのものを聞き取っているかのように振る舞うのだ。
それは確かにNに、彼らを救いたいと、彼らのような存在を増やしてはならないと、
英雄の気高い志を持たせる要因となった。
だが、私にはそれが…
気味の悪い現象にしか映らないのだ。
人の形をしているのにも関わらず、
ポケモンと意志疎通を容易にする。
全て計画を持って私が構築しているのにも関わらず、
得体の知れない何かを内に宿している。
数式の欠乏。恐怖。
まるで「これ」は、××××ではないか…。
明確な嫌悪を私は私の胸に感じた。
「奇跡の業だ。」
「N様こそ、真の王に違いない。」
「まだ幼いのに、N様はなんて偉大なんだ。」
Nを讃える声は次第に音を増す。
だがまだ、世界に聞こえてはいけない。
「我が同胞達よ、まだその時ではないのです。」
「N様はまだ、あまりに幼い。」
「其れ故に哀れな世界の人々はN様の偉大な御力に目を開くことが出来ないのです。」
「肉の器は人々を盲目にしてしまうのです。」
「待ちなさい。そして尽くしなさい。」
「その時は必ず来ます。それまで私達は沈黙の時を過ごすのです。」
Nが王となり、英雄となり、
ハルモニアとイッシュの歴史に語り継がれる強大なポケモン。
それに接触し手中に収める…
その段階に至る前は、我々は闇に潜んでおかなくてはならない。
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