譜面

-四散する理性と-





















だが、その数式は、残酷であった。


「ゲーチス様!奥様が…!!」








妻は、息子を産んだ後産声もろくに聞くことなく、この世を去った。
それはまるで、父の死の再生。





耳障りな不協和音が鳴り響くのを聞いた。





何故!


ようやく答えが見えようとした数式は、解を持たぬ永遠の苦行となってしまった。
私はまた、父の傀儡に成り下がるのか!


妻よ、私は矛盾しているだろうか。
お前が非情な死に拐われた今、お前と出会ったことを呪おうとしている。


父は知っていたのか。こうなることを…
だからこそ、妻をまるで子を産むためだけの存在であるかのように、あの手紙に書いたのか。





やはり父が全て正しかったというのか!


もはや私の矛盾は、私の前の数式と法則を全て掻き乱す。


何もかも!


私と英雄と父と妻を繋げる数式全て!
並べられた現実も何もかも!


私は鍵盤の叩き壊して
その全てを千々に引き裂き瓦礫と変える!!








今の私には、解き明かす術は、ない…。











妻の墓標の前でどのくらいの時を過ごしただろうか。





「私にもようやく、心が聞こえた。」
「…お前の友が、ポケモンが、私の元に居たいというのだ…」


私の後ろで、妻の友たちが静かに見つめていた。


「だがこれは、恐らくお前が言う、『友情』という…澄んだものではないのだ…。」
「これは一つの、罰かもしれない…。」


張りつめた空気がそれを物語っていた。


背後から低く唸る声が聞こえた。
振り返ると、妻から貰ったポケモンが歩み寄ってきていた。


「モノズの時から、逞しくなったものだ。」


妻が亡くなる前の夜に、サザンドラへと進化したのは何かの因果なのだろうか。


「お前にも、こいつの姿を見せたかった。」


妻の墓標に、サザンドラは顔をすり寄せた。
ポケモンにも、人の死の無情さが分かるのだろうか…。


「お前の友たちにとっても、お前の死は辛いものだろう。」
「私のことを恨めしく思うのは、無理もない。」


「だから私は、それを受け入れよう。」
「お前を利用した、その報い。」


「お前は言った。ポケモンに自由をと。」
「世界に変革をと…」


「それを成し遂げる英雄に、この私がなろう。」


「父の望みを叶えるのは、他でもないお前の、そして私の息子だ。」
「息子は世界の頂点に立ち、迷走する人々の叫びを、歓喜の和声にする偉大な調律師となる。」


「そして私は、ポケモンを人々から引き離し、入り乱れた和声をただ平行する二音に引き裂く残酷な調律師となろう。」


「人々にとって英雄は息子一人だ。残酷な調律師の行いは、偉大な調律師の行いの一部に過ぎない。」


「私が英雄であることは、お前だけが知っていれば、それでいい。」
「お前の英雄となることができるなら、私はそれでいい。」


妻が、何も言わずにただ微笑んだようだった。


だがやはり、残酷な調律師もまた、妻を理由にしたエゴイズムなのか…。
もはや私に、それは解けなかった。











屋敷に戻り、私は息子の顔を見た。
赤子の顔など、他の子といくらも違わない。








息子に向ける、完全への数式…?





違うな。
もとよりそれは、妻にしか向けられないのだ。
妻の亡き今、それは虚構の数式。


だが息子は英雄にならなくてはならない。
息子は完全への数式を手に入れなくてはならない。





その方法は、父の譜面には書かれていない…。





「…お前は、英雄となるのだ。」
「全て私の父の、譜面通りに。」

















「いや…一音だけ、変えさせて貰おう。」
「お前が私の傀儡と、見透かされないような、魔力を含む一音を、生涯鳴らし続けてやろう。」








お前には決して聞こえない、残酷な一音。














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