譜面

-絶望、一つ-





















「私たちは、英雄に相応しき血を受け継いだのだ。」





それが父の口癖だった。


私たち、ハルモニア家がいかに優れた存在であると、
私たちは誇り高い血脈の継承者であると、


先祖の輝かしい業績を私に詩のごとく語り聞かせた。





「お前も、その聖なる血を受け継いだのだ。」
「はい、父上。」


「聖なる血を持って、私たちは世界を調律しなければならないのだ。」
「はい、父上。」


「偉大な調律師を、人々は英雄と呼ぶのだ。」
「はい、父上。」


「お前は来るべき日を迎えた時、英雄となるのだ。」
「はい、父上。」


「そのためには、世界のあらゆることを知らなくてはならないのだ。」
「はい、父上。」








父は数多の学問を私に学ばせた。


英雄になるという使命、そして何より純粋に父の期待に応えられるか、
それを考えれば勉学など苦痛になり得なかった。





「先日与えた本は読んだか?」
「はい、父上。一字一句覚えました。」


「素晴らしい。お前はきっと、千年に渡り語り継がれる英雄となるだろう。」





私は父が望む、英雄の資格に持つ人間になれた。


迷走する人々の音階を、秩序の譜面へと導く聖なる英雄。
それが私の未来の姿。


そう確信していた。











しかし…





「お前は、英雄になれない。」
「父上、何故…何故ですか…?」


「息子よ、お前は全ての学問を学び、理解し、我が物とした。」
「話術も文才も習得し、人々の心を掴む術も手に入れた。」


「ええ、ええ。父上に求められたもの全て、この身に宿しました。」


父の口から深い溜息が漏れた。


「そうだ、求められたものは、だ。」
「父上…?」


「求められなければ、手にしないのだ。自ら変革を生み出す力は、お前にはないのだ。」
「………」


「英雄は自ら世界の無秩序さを嘆き、怒りと慈悲を持って人々を命の勝利へと勇ましく導くのだ…!」
「お前はただ、目の前に並べられた現実を!ただ聞き入れ、その音色に満足し、ただその通りに、蓄音機のように繰り返すのだ!!」


「…!!」


父は、厳しい口調で私と英雄を、断絶した。


「英雄は蓄音機ではない…。その不完全性を見抜く者は、必ずいるのだ。」
「完全でなければ誰もが羨望と畏敬の眼差しを向ける英雄にはなり得ないのだ…!」


「父、上…」





おもむろに父は立ち上がり、書斎から慌ただしく去ろうとした。


「なんたることだ、やはり、隔絶して、全て私の計画通りに、作るべきだったのか…」
「父上っ」


「早く次を実行しなくては、人の子はあまりに熟すのが遅すぎる…」
「父上、お待ちください、父…!」





ようやく私へ振り向いた父は、別人のように、冷やかな視線で私を見た。








「…ゲーチス」


「はい…、父上。」





「子を作るのだ。新たな英雄を、」


「……」
「私が最後にお前に求めるモノだ。お前にはもうそれ以上、期待しない。」


「せめてもの詫びだ。お前に相応しき女を用意してやろう。」
「すまなかったな」


父はその表情を変えることなく、扉を静かに閉めた。





私はしばらく、父の書斎に立ち尽くしていた。





現実ほど、難解なものはないかもしれない。


あらゆる数式、法則をもってしても、理解できない。





何故私は英雄になれないのか。
何故父は私に失望したのか。
何故父は私に謝ったのか。


「不完全」


それしか、私と英雄とそして父の間を説明する言葉は見つからなかった。














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